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親指シフト入力とローマ字入力の狭間でっ。

表記、両者の間に戸惑いを覚えております。

戸惑いを覚えたのは、句読点のキーボードの位置です。

ローマ字入力だと、一番下の行に句読点がありますが、親指シフトだと、上下に分かれているため、最近の復帰の際、入力に一瞬戸惑いを覚えました。

大昔、会社勤めをしてた際、新人は部会(部の会議)の議事録を作成しなければならなかったのですが、その際にOASYS100系の機種で作成していたら、教育係の先輩に、「何でOASYSで作っているんだ」とお説教を受けたことを、思い出しました。

当時いた部署は、オープンシソリューション部という、富士通の技術を全否定するという部署!でしたので、富士通にdependした入力方法に頼っていたmiscalculateに、お説教したんだと思います。

でも、同期を含めて、先輩もローマ字入力でMS-Wordで議事録を作成していたのですが、議事録の作成スピード、文字の入力や罫線の処理に長けていたOASYS専用機の方が早かったのは、言うまでもありません。

OASYS専用機のフォントっ。

OASYS専用機のフォントが、プリンタから出力されないという問題点について。

フォントの著作権を持っている、モトヤの許可が下りないとgoogle先生で検索して、今分かった。

OASYS100系のフォント、モトヤのフェイスだったとは……。

OASYS2002当たりのソフトを持っていると、富士通純正のPCだと、インストールしてくれていたと聞くと、その頃のソフト、持っていたっけ?と思う訳です。

乃木坂46アンダーライブを観ましたっ。

表題の件、講義が終わった後、大学からタクシーを飛ばして新青森駅へ。そして東北新幹線に乗って八戸まで行って、じっくり観てきました。

八戸駅のコンシェルジュに聞くと、ライブ会場は本八戸駅の近くと聞いて、ライブの時間前、八戸からライブ会場に近い本八戸まで八戸線で行って、本八戸駅の喫茶店で、ライブ前まで時間つぶしをしていました。

汗だくでライブを観ていると、中元日芽香が、センターで頑張っていました。

セットリストは、乃木坂初心者に分かりやすい曲順でした。

制服のマネキン、アンダーが唄うと、ちょっと新鮮でした。

メンバーの北野日奈子が幼少期、青森市に住んでいたという新事実が、MCで知らされましたが、miscalculateは、新内眞衣の推しメンだったので、サイリュームじゃなくって、新内色のペンライトを振っていました。

ライブ終了後は、電話注文して、取り急ぎ八戸駅までタクシーを飛ばして戻りました。

ライブの日中(じゅう)に青森にに戻れたのは、東北新幹線の臨時列車に往復乗れたからだと、思いますね。

 

出世コースから外れてっ。

miscalculateが学部卒業後いた会社、miscalculateは入社後、いわゆる出世コースに乗っていたんだった。今回の人事を見ても、それは明らかだった。

だが、横須賀線の最終電車に乗る毎日に嫌気がさして、会社を辞めたのは、今では正解だと思っている。

ま、同期も含めて部長になれたと今頃聞かされても、あの頃の会社に戻りたくはない。

元いた会社で出世したってっ。

大昔、所属していた会社の人事のニュースリリースを観ていた。

当時の課長やら、先輩の名前が載っていた。

でも、そんな会社、いたくないと思って辞めたことは、間違いじゃないと思っている。

フロッピーディスクが高かったっ。

OASYSの専用フロッピーディスク、富士通サプライ(古っ。現:富士通コワーコ)から買うと、値段が高かったので、貧乏だった高校生のmiscalculateは、家電量販店の店先にあるOASYS Liteに、バルクの2DDのブルーのフロッピーディスクを挿してフォーマットして、使っていたことを思い出しました(笑)。

OASYS V10の古さっ。

研究室のメインの環境のPCや、親指シフトキーボードを搭載している富士通のノートPCに、OASYS V10をインストールして少し使ってみた。

違和感を感じたのは、カーソルがある場所で自由に入力できることと、文頭の文字カーソル?が、1文字目になくて、余白分の空白文字以降にあること。

カーソルがある場所での入力は、一太郎でも同じなので理解できるのだが、OASYSのWindows系のソフトの操作系を忘れているので、余白分の制御文字の後ろに入力カーソルがあることに、少し違和感を感じた。

で、富士通の中古の、親指シフトキーボードを搭載したノートPCのJapanistの設定を変更して、やっと親指シフトで入力出来るようにして、乃木坂46の『制服のマネキン』を打っていたが、注目文節の移動、Tabキーで打っているという記憶が、甦って来た。

でもこれって、Japanistの入力方法だったんじゃないかと、思う訳だ。

プレビュー画面なんてなかった(汗)。

OASYS専用機、当時は当然、WYSIWYG環境ではなかったので、画面で見ても想像しか出来ず、実際に熱転写プリンタから紙に印刷されるまで、どういう風に印刷されるのか、出たとこ勝負だった(笑)。

またmiscalculateは縦書きの画面ではなく、横書きの標準画面で入力していた。しかし、原稿用紙に印刷する際は、印刷の設定や入力した文章の句読点を気にしたことを覚えている。

OASYS LiteF2の思い出っ。

自宅にOASYS専用機が導入されたのは、OASYS Liteが発売されたからだった。

OASYS Lite、ディスプレイというか入力画面、1行単位!という少ない入力環境(画面!)だったことを覚えている。

その後、環境はLiteF2にリプレースされたが、やっと5行位が入力できる(表示できる)ようになり、やっと制御記号をバンバン使えるようになった。

制御記号って、今のPCユーザにすると、フォントサイズが自由に変更できるので、何の言葉か分からないだろうが、倍角(今でいうと横に伸びた扁平文字)や縦倍角(縦に伸びた文字)にする時、文字の横や上に書き加えた制御記号の文字である。

コマンドっぽいと思われるかもしれないが、当時は制御記号を入力して、フォントサイズを変更することが、当たり前だった。

LX系の頃になると、文字を12ポイントにするときは、12ポイントという入力で制御記号に変換して、その制御記号を文頭に記述しなければならないようになっていた。

今でいう約24ポイントの文字、OASYSでは横倍角と縦倍角を同時に使うテクニックを使うと、そのようになったことなんて、誰も知りませんよね(笑)。

懸案解決、その4っ。

検索エンジンで引っかかったので、OASYS生みの親、神田泰典さんのホームページをしばらく観ていた。

miscalculateにとっては懐かしいOASYS LiteF2や、OASYS専用機のカタログや文章が載っていた。

miscalculateは、父が富士通に勤めていたので、富士通の支店ではOASYS100系、自宅ではOASYS LiteF2やLX系やPoket2、そしてFM-OASYSで文章を入力していた。

今となっては、「地球か…何もかも皆懐かしい」(宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長の言葉)。

ただ今は、OASYS専用機のかな漢字変換よりも、IMEがどうこうより、キーボードが親指シフトで入力出来ればいいとなってしまったことに、悲しんでいる。

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