https://mojim.com/twy113459x2x1.htm
1994年10月に発売された曲。
当時の所属ゼミの状況は、今の3年生のゼミよりも悪い状況だった(苦笑)。
関テレ系の「お義父さんと呼ばせて」、当地で今日から再放送されています。
で、主役の遠藤憲一のフィアンセである蓮佛美沙子、当初、miscalculateは、松岡茉優と区別がつきませんでした。
当方、ボケたおしております(苦笑)。
でも、こんな歳の差カップルなんて、憧れてしまいます(笑)。
ヤフオクで、中古のOASYS AX301を買いました。整備済みの出物でして、お値段は約20K円でした。
開梱した後、動作確認してから、システム(OS)がフロッピーディスクで動いているので、ストックしていた2HDのフロッピーにコピーしました。
あ、フロッピー、買わないといけませんね。でも、売っているのかな?
キーボードのキータッチが軽すぎる(KB232)と、以前のBlogに書いたのですが、OASYS AX系の機種って、こんなにも軽いんだと、当方の記憶違いでして、すみませんでした(;^_^ 。
で、乃木坂46の『制服のマネキン』の歌詞を入力しましたが、上書モードで入力されることに、一瞬戸惑いを覚えました。文字や改行記号を挿入する時って、OASYSって、挿入キーを押してから入力するという記憶を、すぐに思い出しました。あれ、この頃のワープロ(専用機もソフトも)って、みんな上書モードでしたっけ?
この頃のワープロって、予測変換もなく、複文節変換と言っても、単文節変換に近いものでしたっけ?、と思いましたが、案外気持ち良く変換できることを再認識しました。
これって、OASYS専用機やMS-DOSのFEP(今でいうIME)であるOAKの変換のリズム(単語の変換の順番)を、思い出したこととは無関係ではないと思います。
miscalculateのTwitterでフォローしているOASYS、いや、NICOLA配列を布教?されている方には申し訳ないのですが、親指シフトというか、NICOLA配列のキーボードは、IMEがDOS時代のOAKやOASYS専用機の方が、入力効率が良くて、ストレスがないと思うのは、何故でしょうか?
でも、最近某勝間氏が使っている配列がNICOLA配列だからといって、JISキーボードで無理やり?NICOLA配列の入力をしているのは、どうなのかと思います。即刻、FM-KB232や富士通コンポーネントのUSBキーボードを購入して、やまぶきR辺りのエミュレータソフトで、入力環境を整えた方が良いと思いますが。
表記、OASYS2002のCD-ROMを入手しようと、Yahoo!オークションで入札していたのですが、最後の最後で応札出来ませんでした。
終了時間に寝ていたのと、応札の価格設定を甘く見ていたのが敗因でしょうね。
miscalculateは、OASYS専用フォント(モトヤのフェイス)が入手できれば、どんなことをしても、構わないのですが。
と言いながら、どんなことをと言うのは、言い過ぎですね(笑)。
今日は、今年度第1回目のオープンキャンパスでした。
miscalculateは、7月の2回目のオープンキャンパスで、模擬授業を行う予定になっているので、今日は下見で行ってきました。
双方向の授業を行わなければならないというお題目があるので、年下ではありますが、先達の授業のその点を注意深く見つめておりました。
双方向といっても、観客?の高校生がなかなか温まっていなかったり、レベルというとマズいか、言い換えれば生徒の授業に取り組む意欲の差があったりして、先達の授業は苦心なされていました。
はてさて、やはり、解りやすいネタを用意しなければなりませんね。これは腕の見せ所かな?
表記、両者の間に戸惑いを覚えております。
戸惑いを覚えたのは、句読点のキーボードの位置です。
ローマ字入力だと、一番下の行に句読点がありますが、親指シフトだと、上下に分かれているため、最近の復帰の際、入力に一瞬戸惑いを覚えました。
大昔、会社勤めをしてた際、新人は部会(部の会議)の議事録を作成しなければならなかったのですが、その際にOASYS100系の機種で作成していたら、教育係の先輩に、「何でOASYSで作っているんだ」とお説教を受けたことを、思い出しました。
当時いた部署は、オープンシソリューション部という、富士通の技術を全否定するという部署!でしたので、富士通にdependした入力方法に頼っていたmiscalculateに、お説教したんだと思います。
でも、同期を含めて、先輩もローマ字入力でMS-Wordで議事録を作成していたのですが、議事録の作成スピード、文字の入力や罫線の処理に長けていたOASYS専用機の方が早かったのは、言うまでもありません。
歌詞はここに。
http://www.uta-net.com/song/139349/
この曲、当時センターの生駒ちゃんじゃなく、白石麻衣(まいやん)がセンターで脚を上げる動作が気になっていた。
この曲が発売され後の12月31日放送の、TBSのCountDownTVで歌っていた乃木坂46のメンバー、白石麻衣がセンターで、バックに安藤美雲がいた頃って、今からどの位前なんだろう?
今では、労働基準法で当時出演が守られていたメンバーも、CountDownTVに生放送に出られるが、当時は、センターでまいやんが頑張っていた、そういう時代だったんだろうね。
OASYS専用機のフォントが、プリンタから出力されないという問題点について。
フォントの著作権を持っている、モトヤの許可が下りないとgoogle先生で検索して、今分かった。
OASYS100系のフォント、モトヤのフェイスだったとは……。
OASYS2002当たりのソフトを持っていると、富士通純正のPCだと、インストールしてくれていたと聞くと、その頃のソフト、持っていたっけ?と思う訳です。
表題の件、講義が終わった後、大学からタクシーを飛ばして新青森駅へ。そして東北新幹線に乗って八戸まで行って、じっくり観てきました。
八戸駅のコンシェルジュに聞くと、ライブ会場は本八戸駅の近くと聞いて、ライブの時間前、八戸からライブ会場に近い本八戸まで八戸線で行って、本八戸駅の喫茶店で、ライブ前まで時間つぶしをしていました。
汗だくでライブを観ていると、中元日芽香が、センターで頑張っていました。
セットリストは、乃木坂初心者に分かりやすい曲順でした。
制服のマネキン、アンダーが唄うと、ちょっと新鮮でした。
メンバーの北野日奈子が幼少期、青森市に住んでいたという新事実が、MCで知らされましたが、miscalculateは、新内眞衣の推しメンだったので、サイリュームじゃなくって、新内色のペンライトを振っていました。
ライブ終了後は、電話注文して、取り急ぎ八戸駅までタクシーを飛ばして戻りました。
ライブの日中(じゅう)に青森にに戻れたのは、東北新幹線の臨時列車に往復乗れたからだと、思いますね。